船井総研の軌跡

1970年3月6日に産声をあげる

船井総研が産声をあげたのは1970年3月6日。
当時の社名は『日本マーケティングセンター』。現在の船井総研(船井総合研究所)という名称に変更したのは、1985年3月のことです。

創業したのは船井幸雄という人です。当時7名の創業メンバーが、以前いたコンサルティング会社から独立して、新たに船井総研を立ち上げ、コンサルティング活動をスタートしました。

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舩井 幸雄 (ふない ゆきお)
1933年、大阪府生まれ。1956年、京都大学農学部農林経済学科卒業。日本マネジメント協会の経営コンサルタント、理事を経て、1970年に(株)日本マーケティングセンター設立。1985年、同社を(株)船井総合研究所に社名変更。1988年、経営コンサルタント会社として世界ではじめて株式を上場(現在、同社は東証、大証の一部上場会社)。同社の社長、会長を経て、2003年に役員を退任。(株)船井本社の会長、(株)船井総合研究所、(株)船井財産コンサルタンツ、(株)本物研究所、(株)船井メディアなどの最高顧問を歴任し、グループ会社の象徴的存在だった。著書が、約400冊ある。

1970年当時は、糸偏(いとへん)産業といわれた繊維産業が花形の時代。繊維メーカーから卸、そして小売業までコンサルティング業務を行なっていました。 しかし、どんな会社においてもそうですが、創業期には苦労が絶えないものです。


資本金100万円。
机は買えたが、椅子は買えなかった

7人で創業した船井総研ですが、豊富な資金を持って創業したわけではありません。

当時、資本金は100万円。オフィスを借りるために保証金を支払い、オフィスで使うデスクの代金を支払うと、資本金の100万円はほとんどなくなってしまいました。

オフィスにデスクがあっても、椅子がなくては仕事になりません。そこで創業メンバーは、街に出かけます。椅子を探すためです。しかし、道端に椅子が落ちているなんてことがあるはずがない。あるメンバーが街から戻ってきました。そのメンバーは木製のリンゴ箱を持っていました。まだたくさん捨ててあることを知ったメンバーはオフィスを飛び出し、木製のリンゴ箱を人数分運んできたのです。ようやく椅子の代わりになるものを得て、仕事をスタートすることができました。

ちなみに、今でこそ上場しているような企業であっても、創業時はどの企業もこのような時代があったのです。今でも、多くの創業企業はこのような状態で仕事をスタートしているのです。各企業の創業期の背景を知ると、また違った企業の見方ができるかもしれません。

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給与は翌月払い

独立した7人には、創業時、ちょっと当てにしていたようなところがあったようです。
独立前に勤務していた会社のお客さんがきっとついてきてくれるだろうと。しかし当てが外れました。200社近いお客様とお付き合いがあったにも関わらず、新しい会社でもお付き合いをしてくださるお客様は8社しかありませんでした。これには困りました。

8社からのコンサルティング料を合計しても、社員の給料を払うのに困るような状態です。

そこで、給料日を翌月の10日払いにすることにしました。月末の入金があってから翌月に給料を支払う。こう決めたのです。

世間の常識からすると、遅いのかもしれません。しかし、会社の価値観や文化などを継承するだけでなく、創業当時のメンバーの苦労を肌身で感じることで、今の環境に対し、素直に感謝の気持ちをもつことができます。


ベストセラーと成長期

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創業時から苦しい時代が続いた船井総研ですが、1冊の書籍によって救われることになります。

1972年に出版された『変身商法(現:船井流経営法)』が35万部を超えるベストセラーになったのです。当時の35万部と言えば、今に置き換えれば100万部を越えるようなことかもしれません。変身商法(現:船井流経営法)に記されていた経営に関する考え方、具体的な経営手法が多くの企業・経営者に受け入れられ、クライアント企業が急増。船井総研の売上も、うなぎのぼりに増え続け、成長期へと突入していきました。

またお客様も、繊維業界だけでなく、小売・流通業などへも広がっていきました。
多くの企業・経営者の方に経営のアドバイスを行い、多くの企業の売上アップや経営改善という成果に貢献していったのです。

しかし・・・。


競争戦略から共生戦略への大転換

順調に売上を伸ばしていた船井総研ですが、1980年に入り、大きなターニングポイントを迎えます。それが、“競争から共生へ”という考え方への大転換です。

当時、船井総研が行なっていた経営手法の前提は、“競争の戦略”でした。
ここでいう競争の戦略とは、“ライバル企業を叩き潰すためには何をすればよいか”といった考え方でした。この考え方でいけば、船井総研の顧客は圧倒的に売上を伸ばすことができるけれど顧客企業のライバル企業は崩壊してしまうような事態を招いてしまうこともあるのです。

「船井総研の顧客だけが売上を伸ばせば良いのか?ライバル企業はどうなってもいいのか?」

ある出来事をきっかけにして、ついに船井総研は“競争の戦略=ライバルを叩き潰す”を放棄し、“共生の戦略=ライバル企業と共に生きる策をとる”に大転換するのです。企業の最大の目的は、社会性の追求。つまりは社会のために役に立つこと。“共生の戦略”によって社会に貢献することを決めたのです。


社会に認められる会社になるための上場

“共生の戦略”によって、社会性を追求しようと決めた船井総研ですが、そう簡単に受け入れてもらえるわけがありません。規模も小さい。上場もしていない。誰も知らないような会社が、いくら崇高なことを言っても見向きもしてくれません。

さらに、こんな決定的な事件がありました。ある日、東京行きの新幹線に乗っていた船井幸雄ですが、途中の駅から初老の紳士が隣の席に座りました。ふとしたことで会話が始まり、その会話は大変盛り上がっていきました。短いながらも楽しい時間を過ごした二人は、新幹線を降りる間際に名刺交換をすることにしました。しかし、船井幸雄の名刺を受け取った紳士はこう言ったのです。「なんだ!お前は経営コンサルタントなのか!」と。びっくりして船井幸雄がたじろぐと、その紳士は続けて、「そもそも経営コンサルタントなんていかがわしい商売ではないか!経営コンサルティング会社で上場している会社はあるのか?ないだろ!社会的に認められていない業界じゃないか!」と言ったのです。

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この事件をきっかけに、社会に認めてもらえる会社になるために、自分たちの考え方をより多くの人に知ってもらうために、上場することを決意します。が、ほとんどの証券会社が相手にしてくれません。モノを作っているわけでもない。資産があるわけでもない。そもそもコンサルティング業界で上場している会社など、世界中見渡してもどこにも存在していなかったのです。

こうした不利な状況、いやそもそも“上場は絶対無理”といわれていた状況ではありましたが大阪証券取引所に上場することができました。しかし上場は目的ではなく手段。大証への上場もまだ道半ば。より多くの人に船井総研の考え方を知ってもらい、社会的な存在として認められるための準備が整っただけなのでした。


東証一部への上場

2005年、船井総研は東証一部に上場しました。1988年に大証に上場してから実に17年の歳月が経っていました。東証に上場した意味は2つ。教育性の追求と更なる社会性の追求です。教育性の追求とは、“まずはより多くの雇用を生み出すこと。そして、雇用した社員がより高い人間性を持つよう教育すること。このことに挑戦すること”です。更なる社会性の追求とは、“より多くの人に知られる存在になること。そして、船井総研の考え方に共鳴してくれる人にめぐりあい、受け入れていただく。このことに挑戦すること”です。

東証に上場することは、より多くの人の目に触れる会社になることを意味しています。
より多くの方の目に触れることになれば、さまざまな考え方に触れることになります。

船井総研が掲げる“共生の戦略”という考え方、船井総研が目指す“グレートカンパニー”という考え方をより多くの方々に知っていただき、受け入れていただく努力をしたいのです。

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2010年に高嶋栄が社長に就任

2010年3月、高嶋栄が4代目社長に就任。高嶋は1980年に新卒入社して以来、コンサルタントとして数々の実績を残しました。おそらく新卒入社の社員が、経営コンサルティング会社の社長にまで上りつめた例は、コンサルティング業界内を見渡してみても他にないはずです。

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高嶋 栄 (たかしま さかえ)
株式会社 船井総合研究所 代表取締役社長 1957年生まれ。1980年、株式会社日本マーケティングセンター(現・株式会社船井総合研究所)入社。経営コンサルタントとして約30年、中小企業から大企業、行政まで数多くの組織活性化や企業再生を手がける。また、船井総合研究所の発展とともに、「船井流人財育成法」、「船井流組織活性化法」を確立した第一人者である。2010年3月より、第4代代表取締役社長に就任し、次世代に向けた会社づくりに取り組んでいる。著書に『自立型社員はこうつくる!』(同文舘出版)がある

高嶋は、船井総研創業以来、初めての新卒社員ですから、社内でも最も「船井流」に精通した人物の一人であると言えます。創業当時から船井総研に根づいている原理原則や考え方は大切にしながら、しかし、そこに縛られるのではなく、しっかり今の時流に則した自分たちの新たな「型」を作るべく、船井総研の舵を取ります。そして次世代の船井総研を担う人財を育てることにも力を注いでいます。

また、業績を上げるだけではなく、船井総研の考え方やノウハウをさらに広めていくことで、日本そして世界に「グレートカンパニー」を数多く生み出すことを使命として掲げています。

「グレートカンパニー」とは、その企業の「らしさ」を感じさせる独特のビジネスモデルを磨き上げ持続的成長を続けている企業のことであり、また、その社員も社員の家族も顧客も「素晴らしい企業」だと誇りに思えるような企業のことです。そのような企業を一社でも多く生み出す、意義ある挑戦です。

そして、船井総研では40年間使い続けたロゴマークを一新しました。経営における人の重要さ、独自性(Identity)の重要さ、を人に見立てた「i」で象徴し、こうした経営手法を、日本から世界に向け発信してゆく想いを込め、赤で強調。船井のFを模したラインは、「自由」を表す躍動感、「自律」を意味する白いライン、個と個の「連帯」を表現。これらは、“世界一自由な株式上場企業”を目指す船井総研の姿勢を表すものなのです。

船井総研自身も「グレートカンパニー」を体言すべく、道を歩み続けます。

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